第一課


twitter寓話【偽イソップ寓話集】
twitter寓話をはじめました。140文字という制限の中で何か面白い表現をできないかなと考えていたところ、寓話とか神話とかそういうのを作ったら面白いのではないかと思い立ったのです。
題して【偽イソップ寓話集】
今日作った寓話は以下の通りです。


【偽イソップ寓話集】犬と狼 犬が狼に言った「私はご主人様に仕えて役に立っているのに、お前はご主人様に仇をなすばかりで仕方のない奴だ」狼が答えて言うには「何を言うか。私とお前は同じだ。お前は人間に仕え、私は狼に仕えているだけのことだ」


【偽イソップ寓話集】アフロディテと痩女 やせぎすの女の前にアフロディテが現れて言った「お前は痩すぎて全く美しくないのに、なぜ持て囃されるか」女が答えた「今は痩せているのが流行りです。あなたは少し太り気味ではないですか」美の基準は時と共に遷ろうという事を示す話である。


【偽イソップ寓話集】続兎と亀 以前昼寝をして競争に負けた兎が亀に再戦を申し込んだ。亀が答えて「以前はあなたの得意な陸で競ったので、今度は私の得意な川でやりましょう」いざ勝負すると、兎は溺れて前に進めず再び敗れた。軽率な言動のせいでいつも失敗する人にこの話をするとよい。


【偽イソップ寓話集】ヘルメスと守銭奴 自分の財貨を常に背負って歩かないと気がすまない守銭奴がいた。その男はヘルメスに山のような財産がほしいと毎日祈っていた。そこでヘルメスが望みどおりに財貨を増やしてやったところ、男は押し潰されて死んでしまった。貯めることしか知らぬ者への戒めの話。


【偽イソップ寓話集】ゼウスと蝉 蝉は己の寿命が極端に短いことを嘆き、ゼウスに寿命を伸ばしてくれるよう泣訴した。ゼウスははじめこれを哀れんだが、あまりにしつこく泣くので怒り、寿命を伸ばす代わりに伸びた寿命の間は決して土の中から出られないようにした。執着はしばしば災いを呼ぶという話。

第一課


飯屋とイスラム青年のお話

昼食を食べた際に伝票を渡すと、店員が受け取る前に一瞬ひるんだような動作を。見れば自分は左手で伝票を渡し、店員は明らかにイスラム圏の顔つきでした。本当に悪いことをしたと思いました。なんでその場で謝れなかったのだろうかと後悔しきりです。

もちろんその後のやり取りは全部右手で行ったのですが、人の大切にしているものを無知ゆえに踏みにじってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。

これは今日twitterに書き込んだものなのですが、こういうことは何も文化的背景の違う者同士でなくても、男女関係や友達関係や親子兄弟やビジネスでも何でもありうることだよな、などと考えて今日の夕べを過ごしておりました。

第二課


web上に書く文章って上記の紳士チャックの言動みたいな粋な呼吸を生み出すのが難しいですよね。やっぱり文章だから話し言葉より難しいのでしょうか。それとも粋という概念自体が、話し言葉の現れては消えていくはかなさの中に息づきやすいからなのでしょうか。

第一課


紳士とチャックのお話


昨日道を歩いていたら向かいから歩いてくる二人組みの紳士のうち一人が接近してきてなんだなんだと思ったら小声で一言。
「チャック開いてますよ」
颯爽と去っていく紳士の後姿。
その背中に向かって先生は丁重にお礼を言いました。
先生はチャック全開で歩いていることに全く気付いていなかったのだから、かの紳士は、あえて指摘せず影で嘲笑しても良かったのだし、「こいつチャック開いてるぜ」と笑うこともできたし、無関心で放っておくこともできたはずです。しかるに気を使って小声で指摘し、颯爽と過ぎ去っていくさわやかな善意。さりげない心遣い。こんな人気のない正月の道端にも一廉の漢がおったのか。
余計なことは言わない、言い訳もしない、あるのは親切と気遣いとさわやかな羞恥と感謝のみ、web上では滅多にお目にかかれないさわやかな漢の交流がそこにはありました。
先生もチャック全開男を首尾よく見つけ出したあかつきには、さりげなく隠密裏に教えてあげよう、そう強く誓いました。

第一課


最近youtubeで「まんが日本昔ばなし」を見るのが楽しみになっているのですが、特に「わらび長者」と「猿神退治」がとても良い出来で、みなさんに紹介したいのです。
youtube「わらび長者」
youtube「猿神退治」
「わらび長者」は余命幾ばくも無いかと思われる長者が、己の権力に飽きて自然の摂理と対立し屈服させようとするお話で、満ち足りた者の孤独を良く現している作品です。長者の造詣がとても優れていて、善悪定かならぬというか、善悪を超えたところに立つ者の孤独を良く現しています。また、作品後半の狂気の舞と、ひらひらと落ちていく扇子の描写がとても美しく、無常感に溢れています。大人向けのお話です。
「猿神退治」は知っている人も多いかと思います。この作品では原作の早太郎の死が端折られているのですが、かえって死を明示しないことで、深い余韻を残すことに成功しています。雪原に点々と続く血の様な足跡と、「早太郎は怪物を退治すると、そのまままた信州のお寺へと向かって帰っていきました。長い道のりをただ一人、また帰っていきました」というナレーションが、早太郎は無事ではすまなかったという事を暗示させていてとても心うたれます。早太郎をつれてきた坊様の目が潤んだようにゆれているのも、悲しみを倍化させます。はっきり表現しないけれども、印象的なディティールを積み重ねていくことで、これほどまでに物語に深い味わいをもたせることができるのだなと、感心仕切りでした。先生の目も多分ゆれていたと思います。
この2作品は本当にお勧めですので、暮れ正月に暇な時間があったら是非見てみてください。

第一課


2007年のブログの日記を読み直したんですが、去年より格段につまらなくなっていました。あとラオスー更新してないし。気にしてるんですけどね。
実生活が忙しくなるとブログのことをあまり考えなくなる傾向があるみたいで、今年は何か忙しかったようです。でもがんばらなくては。仮にも他人に見えるところでもの書いてるんだから、それなりのエンターテイメントを展開しなくてはいけません。少なくとも品川駅でよくやってる「触ってないのに立ちますよ人形」使いの駆使するテクノロジーくらいのエンターテイメントを。