第一課


問:鬼畜に愛はいらぬ - 枕流亭ブログという文章を見つけました。先生はこの文章をどう思いますか?
答:サド侯爵の思想を正確に理解し、わかりやすく表現したすばらしい文章だと思います。


やばい内容のエロゲが人権団体に見つかって発売自粛に追い込まれたという間抜けなニュースが発端となっていろんな人がいろんなことを言っているわけですが、こういうポルノの問題を語るのなら、サド公爵の背徳の思想をわかっていなければ意味がないわけですよ。そういうことを先生が書こうと思っていた矢先、リンク先の方がわかりやすく書いてくれていて本当に良かったと思っています。
リンク先の文章を補完するつもりで、サド侯爵にまつわるエピソードを紹介します。出典を忘れたので記憶をたどって書きます。多分澁澤龍彦さんの本に載ってたような気がしますが。

ある未亡人の女性が出会い系に登録しました。出会い系と書きましたが、わかりやすくするために出会い系と書いただけであって実態は違います。当時は未亡人になってしまうと生活に困ることが多く、早めに再婚相手を探す必要のある女性が多くいました。そこで手っ取り早く相手を探すために男性を紹介してもらって一夜を明かすサービスが上流階級の間であったようです。
とにかくその未亡人が出会い系に登録して初めてのお客さんがきました。
こんなのはじめてだわどうしようと緊張する未亡人に、お客は上品な物腰でお話をして非常に紳士的に接してくれました。
しかしいざ行為に移ろうとしたときに、お客はおもむろに袋からトゲトゲのついた鞭を取り出し
「これであなたをたたきたいけれどもいいですか?」
と聞いてきました。未亡人が嫌だというと
「ではこの鞭で私を力いっぱいたたいてほしい」
と頼みました。そんな恐ろしいことはできませんと未亡人が答えると、お客はこんどはこう言いました。
「それではこの十字架を地面に置くから、この上にウンチをしてほしい」
ことここにいたって未亡人は逃げ出し、世話役に泣きつきました。そして警察が駆けつけ、ちょうど道具をしまおうとしているお客をしょっ引いていきました。
こうしてつかまったのがサド侯爵だったそうです。

侯爵はこのようにして何度か逮捕され、精神病院や牢獄に入れられつつも、自身の性癖を何とかして世間にわかってもらおうといろいろ本を書くわけですが、そのつど発禁になって、それでもなお書くのをやめなかったわけです。そして文学史に燦然と輝く汚点となったわけです。


結局何を言いたいのかというと、メーカーは何食わぬ顔をして続編を出せばいいんですね。あと名前だけ変えて同じようなゲームを出すとか。それでまた抗議されたらそのつど謝って発売自粛して、ほとぼりが冷めたころにもっとひどい内容のエロゲを出せばいいんです。発禁を食らおうが規制が強化されようが、それはメーカーの、エロゲの敗北ではない。真の敗北は、顧客にそっぽ向かれてゲームが売れなくなったときだけなんです。
あとあれですね。表現の自由とか言ってる人は的外れですね。鬼畜に表現の自由なんてないんですよ。そんなものがあったらそれはもう鬼畜ではないんですよ。それはすでに社会に認められた立派な性癖に成り下がったも同じなわけですよ。だから、この問題を話したい人はくれぐれも革命戦士ぶって表現の自由などといってはいけません。各自めいいっぱい想像力を働かせて、もっとひどい、もっと人権を蹂躙するような、もっと吐き気を催すようなエロゲのプロットをいっぱい考えて、かの人権団体にメールすべきです。そしてかの団体のメールボックスがエロゲのプロットでいっぱいになったときこそ、それが真の背徳者の勝利というべきです。


最後になりましたが、背徳者の皆さん、希望を捨ててはいけません。背徳は徐々にではありますが、道徳のくびきから脱しつつあります。その証拠に、先のサド侯爵のエピソードで逮捕の原因となった鞭打ち、脱糞(この場合は宗教への冒涜が問題となったわけですが)といった行為は、すでにSMクラブ等の性風俗施設で金さえ払えばプレイ可能であり、決して逮捕されるようなものではなくなっています。もしサド侯爵が現代日本に現れたなら、もう大喜びでSMクラブに入り浸っているはずです。このように、背徳は徐々にではありますが、美徳、道徳によって抑圧される状態から出しつつあります。背徳者の皆さん、今回のような間抜けなアクシデントに負けず、羞をさらけ出し、悪癖を磨き、背徳者としての正しい行いを心がけていきましょう。