第一課


「劇場版 仮面ライダーディケイド侍戦隊シンケンジャー」という映画を見てきました。
付き合いで見に行っただけで何の興味も知識も無く、この事前情報溢れる情報化社会において久しぶりに情報ゼロで映画を見ました。
それなりに面白かったです。最近の子供向け映画はCG使ったり演出が派手になったり、すごいなあと感心したり、子供向け映画ならではの超展開や超演出に笑いを必死にこらえたり、それなりに楽しめました。
あとこれが一番の収穫だったのですが、ガクト先生が出てたんですね。コブラ寺沢武一著)役で。あとで調べたらライダーマン役だったらしいのですが。
相変わらずガクト先生はチョイ役の癖に主役を完全に食う存在感ぶりで、登場する必然性が全く感じられないという脚本の稚拙さを跳ね返すような存在感でスクリーンに登場されました。ガクト先生は歌手より俳優やったほうがいいと思いますマジで。
主役のディケイドという仮面ライダーは、仮面ライダーの風上にも置けない情けない男で、その情けなさをあげると

  • 仮面ライダーの癖に悪役にだまされて大ショっカーなる悪の組織の首領に担ぎ上げられる
  • 利用されるだけ利用されて利用価値が無くなるやいなや、部下のクーデターで失脚し落とし穴から下水道に落とされる
  • 下水道でFF4のカインみたいに洗脳された元仲間仮面ライダークウガなる男(本当は好青年)にぼこられる
  • 女に捨てられる
  • 雨の中家の前で女に謝罪するも面会謝絶
  • 大ショッカーに破壊された廃墟で不貞腐れて座り込む

という体たらくなのですが、そこにコブラ役のガクト先生が現れて、この情けない男を観客に成り代わってぶん殴り、その存在感を否応無く示すわけです。殴られたディケイドは「このまま殺してくれ」だのと最後まで小物っぷりを発揮しますが、ガクト先生ふんするコブラは「お前など殺す価値もない」と怒り心頭。さらにちょうどいいところに現れた大ショッカーの軍勢を見るや腑抜けを放り捨てて単身戦う覚悟を決め、苦悶の表情と共に右手の義手を引きちぎりサイコガンみたいなのに換装。(ここで先生はガクト先生はコブラ役で登場したのだと誤解してしまいました)
そして腑抜け(ディケイド)に一喝。
「たとえ全てを失おうとも、たった一人になろうとも戦うのが仮面ライダーではないのか」
そして大ショッカーの軍勢に敢然と立ち向かうところで場面転換という、鳥肌物の格好良さを示してくれました。先生はそういう描写から、当然ガクト先生は腑抜けをかばうために大ショッカーの軍勢を巻き込んで壮絶な爆死を遂げられたと思い込んでいたのですが、あとで調べてみるとガクト先生はコブラ役ではなくライダーマン役だったようで、その後の仮面ライダーが一堂に会するシーンでもライダーマンがばっちり写っていたので、そこだけちょっと残念な気持ちになりました。
しかし最近のヒーロー物というのは線が細いですね。最近映画化されたキャシャーンしかりプルートゥしかり。今回の映画に関して言えば、世界が破滅しそうになった原因が、どうでもいい兄弟げんかというより妹の逆恨みという、非常にセカイ系というかなんと言うか、とにかく残念な感じでした。なんというか登場人物の痛みとか苦しみとかいったものがスクリーンから伝わってこないのです。伝わってきたのはガクト先生の熱い思いだけです。ガクト先生が右腕を引っこ抜くシーンだけは本当に痛そうに見えました。
どうも最近の作り手は若造の身勝手な悩みとか思春期の気持ち悪い自己肥大とか、そういうのをぶちまけて子供たちから金を巻き上げることしか考えていないのか、それとも本当にそういう幼稚なものしか作れないのかと疑いたくなってしまいます。こういうのも時代なんですかね。
でも見所もありました。ガクト先生が最大の見所であるというのはいうまでもありませんが、仮面ライダーが大集合してGメン75みたいに並ぶところなど格好良かったし、大ショッカーを壊滅させ去り際に振り返り無言で頷く1号2号の懐の深さも良かったと思います。本来ならば悪人にだまされて今回の騒動を引き起こしたディケイドは、他のライダー全員からつるし上げにあっても仕方の無いくらいの大失態を演じたわけですが、曲がりなりにも(先輩方に助けてもらいながら)なんとか自分で事態を収拾し責任を取ったんだからまあよしとしようという大人の懐の深さが無言の頷きとなって現れているわけです。
とにかく、思いがけないところでガクト先生の活躍ぶりを見ることが出来たので良かったと思います。それなりに面白い映画なので、子供がみたいみたいと言ったら連れて行ってあげましょう。