第一課


本日のシェフのおまかせコース

  • 酸化鉄と水銀のドリア
  • すりガラスのムニエル
  • ポリプロピレンのテリーヌ・エチレンプロピレンゴム風
  • 古紙寿司
  • 青銅湯麺
  • ヨーロピアンオークの酢のもの卑金属あえ
  • アルミニウムふりかけ
  • ナイロンのから揚げ
  • 貴金属の船盛尾頭付き
  • 高オクタン価ガソリンのポタージュ
  • 鉛いなり
  • アセトアルデヒドのキャンディー

第二課


創作と当事者性の問題について
先生が考えるに、当事者性の強い読者に気を使っていては何も書けないというのは、あまりにも気弱に過ぎると思います。セイラさんに「軟弱者」と罵られても仕方がありません。世の中は基本的に当事者性同士のぶつかり合いです。今回のように知的障害者に深く関わっている人にはそれぞれの深い思いがあり、その思いの深さゆえに黙っていられないことだってあるのです。でも、それはあくまでもやむにやまれない気持ちの表出であって、私が傷つくから余計な物を書くなという抑圧的な姿勢ではありません。また、創作をする側にも書きたい欲求があって何かを書く、それについて傷つく人が当然出てくる、でもそれでも書かなきゃいけないんだという強い気持ちがあります。要はお互いの気持ちがどれだけ真正面からぶつかり合えるかということだと思います。読む側が読んだあとのやむにやまれない気持ちを出してきたとすれば、それに対して書き手は耳を傾けると同時に、どうしてもこういうことを書きたかったんだという強い意志を示す必要がある。そしてそのぶつかり合いの中に新しい創作の原石を見出していこうというしたたかさも必要です。
何かを書いた後、そのことについて強い当事者性を持った人に何か言われたときにうろたえてしまうのであれば、それは書き手の「書きたい気持ち書かねばならない意志」が読み手の「言わねばならない意志」よりも弱かったというだけで、次に書くときにはより強い「書きたい気持ち書かねばならない意志」をもって書けばいいのです。
今回の「兄の人生の物語」については書き手の意志がどのようなものであったかは、書き手が何も言わないので全くわかりません。でも先生は書き手にはもっと書き続けてほしいと思っています。「兄の人生の物語」について続きを書けとか申し開きをしろとかそういうのではなくて、関係ない物語でも何でもいいから読者をうならせ面白がらせるものを書き続けてほしいと願っています。

第一課


12月14日の先生の講義について、とても優秀なレポートがありましたので紹介します。


http://www.lingr.com/room/23oYFHJH4Sb/archives/2007/12/15

以下、先生がとても感心した部分の抜粋。

  • tinkojiさんは、「考えずにその問題に言及するな」「障碍に触れずに言及するな」とおっしゃっているわけではなく、「痛みを感じる洞察力を持ちなさい」と主張しているんですよね?
  • 文章があり、読んで、感想を持った。んで 、そこから「当事者」が浮き上がってきたとするなら、そちらが重要だろう、と。情緒的に言うと、耳を傾けるべき、と(ネタマジ論争よりは)
  • 自分が、tinkojiさんが書いたことを読んだ感想としては 、まず、これを実話だと思っている層は知らなさ過ぎる、と。
  • そして、「これは創作だから…(前後エントリ読めばわかるでしょ、的な)」という層に対しても 、だとしても、当事者の抱く感想というものは存在するわけで、思い至れないのはいけないよね、ということだ
  • tinkojiさんのエントリーは、「触れてしまったからには逃げずに今後も書き続けるように」という意味にもとれる。


ここまで丁寧に人の文章を読み取っているレポートが出てくるとは思っていませんでした。
また、創作と当事者性のデリケートさという問題についても触れており、乱暴に要約すると、創作をする立場からすれば、四方八方に気を使っていては何も書けんじゃないか、そうなると結局書かないことが差別や偏見の助長に消極的な形でつながってしまうのではないかという議論も行われていました。

第一課


問:兄の人生の物語というお話をめぐっていろんな人が書いていますが、この問題の本質は何ですか?
答:本質など大したことありません。ただ単に書き手が題材選びを失敗しただけです。


ある作品があって、それを読んだ人がおもしろいつまらないと感想をいうのですが、その感想というのはどうしても読んだ人の人生経験や感性を反映したものになってしまいます。その点を考えると、上記の作品は知的障害者とその家族という、読み手の人生経験や知識によって極端に感じ方が変わってしまう題材を扱ってしまったのです。知識が少なかったり関わりの無い読者にとっては良くできた作品に見えても、知識があったり人生の中で深くかかわっている読者にとっては、違和感を感じたり、読んで深く傷ついたり、呆れたり、怒りを感じたりしてしまう、そういう題材を不用意に扱ってしまったのです。これはネタだからなんだかんだと理屈をこねてみても、それははたして当事者性の強い読者が感じた怒りや悲しみよりも重要なことなのでしょうか。
あなたはそういうことのわかる、人の痛みのわかる人間になりなさい。
以上です。


http://d.hatena.ne.jp/asianshore/20071209
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まさか「兄の人生の物語」をリアルだと思って読む人がそんなにいようとは - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
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2007-12-11 - gomisの日記
いろいろいろいろ - S嬢 はてな
えっとですね、昨日の続き - S嬢 はてな
いつものように、多分、しつこい - S嬢 はてな
おし!整理ついたぜ - S嬢 はてな
ロハスで父が死ぬ理由 - 自他の境界がなくなっちゃえばいいのに - オレ理論
http://d.hatena.ne.jp/usaurara/20071214/1197617212
http://d.hatena.ne.jp/konashi/20071211/1197382303
http://d.hatena.ne.jp/ngmkz/20071213/1197550733

第一課


先生がブログをほったらかしている間に、いろいろ映画見たり、civ3という中毒性ゲームにうつつを抜かしていたり、いろいろしていたのです。その中から、珠玉の一品を紹介します。


映画「300」
*1



ペルシャ軍100万を迎え撃つは軍事国家スパルタの精鋭重装歩兵300。要衝テルモピレーで男たちの決死の防衛戦がはじまるといったお話です。
これは面白かったですね。一緒に借りてきた「墨攻」が小説版漫画版にはるかに見劣りするできだったのに比べると、この作品は立派です。
まず第一に素晴らしいのは、頭をあまり使わなくてもよいこと。ペルシャ戦争の経緯とかそんなものを軽くすっ飛ばして、悪のペルシャ帝国に立ちはだかる男の中の男が啖呵切って、勢いあまってペルシャの使者をぶっ殺して、後は切って切って切りまくるの水戸黄門8時40分から45分の乱闘シーンを延々と見せられるようなわかりやすさ。これは視聴者をいらいらさせないための重要なポイントだと思います。
第二に素晴らしいのは登場人物が少ないこと。両軍あわせて数百数千の人が現れますが、そのほとんどが登場5秒以内に死にます。主要登場人物は片手で数えるくらいで足りるので、ゴッドファーザーパート3を見て誰が誰だかわからなくなってしまった経験のある先生にとっては大変助かる設定でした。
第三に男気。超兄貴なスパルタ王レオニダス。一人でペルシャ軍数個師団を全滅させることのできそうな無双振りには張飛もびっくりです。そしてなぜかスパルタ軍全員盾と兜以外裸マント。水着だらけの水泳大会なんてレベルではありません。超筋肉。鎧=筋肉。また、全員裸マントなのにファランクスを組むところなんかがやけにリアルだったりします。


ちなみにペルシャ軍の描写があまりにひどいということでイラン政府からクレームが入ったとか入らないとかいう噂を聞きましたが、先生が見るに、ペルシャ帝国の描写はそんなにひどくないと思います。
例えばクセルクセス1世。見た目は筋肉質なピーターですが、さすが大帝国の王だけあって懐の深い人物です。
クセルクセス王の偉大さを端的に現す例として、この映画にはエフィアルデスという男が出てくるのですが、彼は生まれつきの奇形のせいでスパルタの掟に従い間引き*2されそうになります。しかしそれを哀れんだ母の愛で生きながらえた彼は、ギリシャ世界興亡の一戦に参加したいとスパルタ王レオニダスに願い出ます。体は弱くてもその眼光は死を覚悟したつわもののものです。しかしレオニダス王は従軍を拒否。スパルタ軍はキレイな男にしか入れない古代版ガタカのような企業体質を持った硬直した組織だったのです。絶望したエフィアルデスは今度は腹いせにペルシャ王クセルクセスに接近、スパルタ軍の背後を狙うことのできる間道の存在をタレこみます。謁見の間には自分と同じ奇形の者、異類異形の人々が王様に近辺にはべり、半裸の女が挑発してきます。生きてて良かった、エフィアルデスはそう思いました。そこで偉大なるクセルクセス王が一言
「余に忠誠を誓うならば、お前の望む者を与えてやろう」
どうですか、この王の偉大さは。ペルシャ帝国においては、王に忠誠を誓いさえすれば、田舎で村八分にされていた者も、わけありで故郷を追い出された者も、先天性異常のせいで虐げられていた者も、どんな者でも夢を与えられ、平等に扱われるのです。キレイな男たちしか入れない排他的体育会系馬鹿組織スパルタとは雲泥の差です。偉大なるペルシャ民族の寛容さを強調するこの映画がなぜイラン政府に怒られたのか先生は良くわかりません。


とにかくこの映画は筋肉万歳な人、あまり頭を使いたくない人、男塾な人、B級テイストが大好きな人にはお勧めです。どっかのレンタルビデオ屋で借りて、是非見てみてください。おしまい。

*1:このパッケージが、この映画のすべてを雄弁に物語っています。

*2:弱い子は赤ちゃんのうちに遺棄、強い子だけがスパルタ人になれるという掟。

第一課


問:今話題のスイーツという言葉は、食べ物のどこからどこの範囲を指す言葉なのでしょうか?
答:この逸話を読みなさい。


夫の妻に問う。
夫「スイーツとは、何ぞや」
妻「デザートすべてを指す也」
夫「和菓子もスイーツか」
妻「しかり」
夫「果物は如何」
妻「スイーツ也」
夫「石焼芋はスイーツか」
妻「否」
夫「たい焼きはスイーツか」
妻「否」
夫「浪花屋のたい焼きはスイーツか」
妻「しかり」
夫「たい焼きと浪花屋のたい焼き、この違いは如何」
妻しばし考えて曰く「けだし雑誌に載ればスイーツ、載らざればスイーツにあらず」
夫の嘆息して詠める「煮豆燃豆箕 豆在釜中泣 本是同根生 相煎何太急」


参考文献:七歩詩 曹植