第二課


創作と当事者性の問題について
先生が考えるに、当事者性の強い読者に気を使っていては何も書けないというのは、あまりにも気弱に過ぎると思います。セイラさんに「軟弱者」と罵られても仕方がありません。世の中は基本的に当事者性同士のぶつかり合いです。今回のように知的障害者に深く関わっている人にはそれぞれの深い思いがあり、その思いの深さゆえに黙っていられないことだってあるのです。でも、それはあくまでもやむにやまれない気持ちの表出であって、私が傷つくから余計な物を書くなという抑圧的な姿勢ではありません。また、創作をする側にも書きたい欲求があって何かを書く、それについて傷つく人が当然出てくる、でもそれでも書かなきゃいけないんだという強い気持ちがあります。要はお互いの気持ちがどれだけ真正面からぶつかり合えるかということだと思います。読む側が読んだあとのやむにやまれない気持ちを出してきたとすれば、それに対して書き手は耳を傾けると同時に、どうしてもこういうことを書きたかったんだという強い意志を示す必要がある。そしてそのぶつかり合いの中に新しい創作の原石を見出していこうというしたたかさも必要です。
何かを書いた後、そのことについて強い当事者性を持った人に何か言われたときにうろたえてしまうのであれば、それは書き手の「書きたい気持ち書かねばならない意志」が読み手の「言わねばならない意志」よりも弱かったというだけで、次に書くときにはより強い「書きたい気持ち書かねばならない意志」をもって書けばいいのです。
今回の「兄の人生の物語」については書き手の意志がどのようなものであったかは、書き手が何も言わないので全くわかりません。でも先生は書き手にはもっと書き続けてほしいと思っています。「兄の人生の物語」について続きを書けとか申し開きをしろとかそういうのではなくて、関係ない物語でも何でもいいから読者をうならせ面白がらせるものを書き続けてほしいと願っています。