第一課


粋(いき)と野暮について。
いつも思うんですけど、yukiさんの野暮な客に対する親切さは偉いなあと思うんですよ。例えばこれとか↓
弁償するとき目が光る : 善意の人々の尊大さ
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先生はyukiさんほどではないですけど、たまに野暮な言及を受けたりしますが、いちいち付き合いません。自分のほうに振り向いてほしいという気があるならば、そういう気を持ちつつもまず相手を楽しまようという心意気がなくてはいけないと思うからです。そういう視点が致命的に欠落している人が多いんですよね。やはりWEBの世界は野暮に残された最後のユートピアだからでしょうか?そういう野暮に付き合ってあげるyukiさんの優しさはやはり「女の優しさ」なんでしょうか?野暮に付き合い続ける姿にも、そういう優しさがかすかににじむ様子はそれ自体粋だと思います。

第二課


ちなみに粋だの野暮だのって何?って思う方は、九鬼周造氏の『「いき」の構造』を読んでみてください。でも残念なことに、野暮がこれを読んでも絶対に粋にはなれません。なぜなら、粋を分析解説すること事態がものすごく野暮なことだからです。九鬼さんもそのへんを覚悟の上で、日本独特の都市文化の一つである粋について世界に紹介したいという気持ちでこの本を書いたのではないかと思っています。

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

第三課


そういえば、はてなブックマークの使われ方って結構野暮な使われ方が多いよなとさっき思い至りました。やはりこういうコミュニケーションツールとしてお手軽に使えるシステムというのは、そのお手軽さゆえに、いきというよりかは野暮の文化を作り上げるものなのでしょうか。